こんばんは。
人は、多くの場合自分の価値観で話をします。
それは、悪いことではありません。
むしろ自分の軸があるという意味ではいいことだと思います。
いつも正しいことを言っている人っていませんか?
何か、自分が話したときに
「変」「おかしい」と言われてしまう事はありませんか?
私が間違っているんだから
相手は正しいんだからいいんじゃない?
そう思いがちですよね?
しかし、その正しい意見って人を助けることもあれば
時には、苦しめてしまう時もあるのです。
もちろん、誰が悪いという話ではありません(*^ー^)ノ
しかし、変と言われたことに違和感を持ったらどうしますか?
この違和感を持ったときに、自分が変なんだし
と結論付けて納得してしまいますか?
その違和感の正体は、何なのでしょう。
その場合の多くは、心で納得していないサインを出している
そういうこともあるのだと私は思うのです。
「理屈ではそうかもしれないけど」
「正論かもしれないけど」
もし、そのように感じていたら、
是非、自分の感覚を大切にしてください。
ここで、そう思っても自分が変なのよね
と無理に結論付けてしまうと
自分自身の考え方・感じ方を自ら否定してしまうことにも
なりうると思うのです。
例えば、私は26歳という年の差を越えて結婚しました。
人によっては「それは変。そんな年上の人を好きになるなんて・・・」
という見方もあります。
あっても当然だと思いますし、多くの人はそう考えると思います。
その考えを否定しません。
だって、そう思っても不思議じゃないから。
そう思うよね~と受け取ります。
ただ、私にとっては「好きになった人がたまたまそうだっただけ」
ということなんです。
変な女だと、とる人もいるかもしれないけど、
だからって私は変な女なんだとは思いません。
私のエピソードは極端な例かもしれませんが、
人は、どこに立ち位置をおいているか
そして何を大切にするかで
価値観や事実の見え方は変化するものだと思います。
こういう心が納得いしないときに、どちらかの意見に
決める必要はないと私は思うのです。
こういうときこそ、人と自分は違うということです。
自分と人が違う考えでも
尊重することは可能です。
尊重しようとするあまりに、違いを感じるのに
無理に、そこへいくことは必要ないのです。
それが、たとえ正しい意見(考え)であっても
自分が違うと思うのなら
自分にとっての心が納得するものではないのだと
私は思うのです。
人はどうしても正しい価値観には抵抗しがたいものです。
それでも心が感覚が違和感を覚えるのなら
何に違和感を感じているのか考えてみてもいいと思います。
意外な自分らしさを発見することに繋がったり
精神的な自立に繋がったり
いろんなことが見えたり
自分の軸が見つかったり
こういうことから、そういうことが起きる
多々あることだと思います:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
参考になりましたら幸いです。
繋がって解決する専門家
蓮美咲です。
人は、多くの場合自分の価値観で話をします。
それは、悪いことではありません。
むしろ自分の軸があるという意味ではいいことだと思います。
いつも正しいことを言っている人っていませんか?
何か、自分が話したときに
「変」「おかしい」と言われてしまう事はありませんか?
私が間違っているんだから
相手は正しいんだからいいんじゃない?
そう思いがちですよね?
しかし、その正しい意見って人を助けることもあれば
時には、苦しめてしまう時もあるのです。
もちろん、誰が悪いという話ではありません(*^ー^)ノ
しかし、変と言われたことに違和感を持ったらどうしますか?
この違和感を持ったときに、自分が変なんだし
と結論付けて納得してしまいますか?
その違和感の正体は、何なのでしょう。
その場合の多くは、心で納得していないサインを出している
そういうこともあるのだと私は思うのです。
「理屈ではそうかもしれないけど」
「正論かもしれないけど」
もし、そのように感じていたら、
是非、自分の感覚を大切にしてください。
ここで、そう思っても自分が変なのよね
と無理に結論付けてしまうと
自分自身の考え方・感じ方を自ら否定してしまうことにも
なりうると思うのです。
例えば、私は26歳という年の差を越えて結婚しました。
人によっては「それは変。そんな年上の人を好きになるなんて・・・」
という見方もあります。
あっても当然だと思いますし、多くの人はそう考えると思います。
その考えを否定しません。
だって、そう思っても不思議じゃないから。
そう思うよね~と受け取ります。
ただ、私にとっては「好きになった人がたまたまそうだっただけ」
ということなんです。
変な女だと、とる人もいるかもしれないけど、
だからって私は変な女なんだとは思いません。
私のエピソードは極端な例かもしれませんが、
人は、どこに立ち位置をおいているか
そして何を大切にするかで
価値観や事実の見え方は変化するものだと思います。
こういう心が納得いしないときに、どちらかの意見に
決める必要はないと私は思うのです。
こういうときこそ、人と自分は違うということです。
自分と人が違う考えでも
尊重することは可能です。
尊重しようとするあまりに、違いを感じるのに
無理に、そこへいくことは必要ないのです。
それが、たとえ正しい意見(考え)であっても
自分が違うと思うのなら
自分にとっての心が納得するものではないのだと
私は思うのです。
人はどうしても正しい価値観には抵抗しがたいものです。
それでも心が感覚が違和感を覚えるのなら
何に違和感を感じているのか考えてみてもいいと思います。
意外な自分らしさを発見することに繋がったり
精神的な自立に繋がったり
いろんなことが見えたり
自分の軸が見つかったり
こういうことから、そういうことが起きる
多々あることだと思います:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
参考になりましたら幸いです。
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